井上ひさし講演から

憲法とこの国のかたち

富山県保険医協会 副会長  小熊清史

小熊清史氏(左)と井上ひさし氏(右)

 井上ファンだからということで司会を仰せつかった。
 まず戸惑ったのは「さん」で呼ぶべきか「先生」と呼ぶべきかだった。周りの意見を聞いて「さん」にしようと決めたものの、「私家版日本語文法」「自家製文章読本」などを読んでから日本語の師匠と仰いでいるので、ついつい「先生」と呼びたくなる。

「論憲」と「改憲」
 ちかごろは「護憲」よりも「論憲」が流行っている。「改憲」を論ずることを「論憲」というらしい。戦争を事変、敗戦を終戦と言い替えるのと同じく巧みな言い回しだ。
 私たちに関係の深い憲法第25条の前半は「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」を謳っている。後半では「社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」と国の義務を規定している。最近の社会保障の動向をみると、国が義務を放棄し、「自分たちで頼母子講をつくって勝手にやりなさい」と国民を突き放しているように見える。
 そもそもこの憲法はアメリカの押し付けだ。第25条なんてのは、日本の国力が大きくならないように、経済力を殺ぐために仕組まれたのだ。こんなものはくそ食らえだ、という声が聞こえてきそうだ。危険な「棄憲」思想だ。日本の社会保障は先進諸国の半分の水準でしかない。
 なお、この条文は「世界人権宣言」(1948)の第22条、第25条とほぼ同じ内容である。

5つのケンポウ
 講演のタイトルは「二つの憲法」だった。
 何と何で二つなのか。現憲法は確実として、それに明治憲法を対比するのが常識的な「二つ」なのだろうけれども、井上作品にはしばしば一ひねり二ひねりがあり、最後にどんでん返しがあったりする。
 井上氏の書かれた憲法論議のなかに「剣法」の話がある。剣の達人ほど戦うことの難しさと空しさを知り、「究極の強さは戦わないことにある」と悟る。平和主義を語るための比喩である。
 終戦直後に高野岩三郎らが発表した「憲法草案」がある。これは明治の自由民権期に盛んに発表された私擬憲法草案、なかでも植木枝盛の「国憲案」に強く影響を受け、またGHQの憲法草案に影響を与えたとされる。
 もうひとつは世界の平和団体が目指している21世紀の世界憲法だ。ここでは日本国憲法が高く評価され、モデルにさえなっているという。
 そんなこんなで、以上5つの「ケンポウ」から、どれが「二つの憲法」なのか、謎解きの興味をもって講演を聞いた。

パッチワークの現憲法
 日本国憲法の前文は、アメリカ合衆国憲法、イギリスの人権宣言、リンカーンの演説、フランスの権利宣言、アメリカの独立宣言、大西洋憲章、国連憲章などを寄せ集めた「パッチワーク」なのだそうだ。いいところを集めてあるので、英語で読むとたいへんな名文であり、「世界史の傑作」だという。
 平和主義についても、日本独自の足枷ではなく、日本も批准した戦前のパリ不戦条約にもとづいている。イタリアもフィリピンも憲法で戦争放棄を謳っているとのことである。
 いっぽう政府のいわゆる「松本案」は明治憲法を手直ししたものだった。「国体」の護持が柱になっており、国民は「臣民」とされた。これでは諸外国から「天皇責任」が追及され、東京裁判に引き出され、ひいては占領統治に支障をきたす。ということで、GHQから突き返されてしまった。
 こうしてみると、妥協の産物として「象徴天皇」を入れた以外は、世界標準の最先端を行っているのではないか。しかし、日本人は憲法に釣り合うだけの政治的な器量をもっていない、と井上氏は手厳しい。志の低い政治家を議会に送り込んでいるのは、私たちなのだ。

この国のかたち
 明治の自由民権運動が欧米の人権思想に影響を受けていたことはよく知られている。高野「憲法草案」もその流れを汲んでいる。「世界憲法」が世界の歴史の成果から出発しているのは当然だ。これらは同根のものであり、人類に共通する普遍の原理に基礎を置いている。
 「二つの憲法」は、現憲法に代表される人間尊重の世界的な流れと、ビスマルクの大国主義の流れを汲む明治憲法とを指している、という平凡な結論にたどりつく。
 「憲法」という言葉はいかめしすぎる。「憲」は人名にときどき見かけるほかは日常は接しない文字だ。より身近にとらえるために、「基本法」というべきだと主張する学者もいる。井上氏は「この国のかたち」と読み替えることを提唱している。
 「お仕着せだから」とか「50年たったから」といったファッションのような感覚ではなく、「この国のかたち」をどうするかということが大切なのだ。「論憲」派の巧みなすり替えには要注意。「護憲」派にも、憲法は前文と第9条ばかりじゃない、とひとこと僻みを言わせてもらおう。

サイン会のひとこま

 モンブランの万年筆から、雪解けの大地から萌出る新芽のようにやさしく、あたたかい文字が産まれてきます。「井上という文字は大きめで、「ひさし」は小さく踊っているように‥‥‥。
 太めの文字に比べて、先生の手の華奢なこと、あんな小さな手からどうして次々と大きな小説や戯曲、エッセーが、手品のように産まれてくるのだろう。そんな思いで先生の手元を覗きながら、次々と本を開いていきました。
 まず、しっかりと相手の顔を見て「お待たせしましたね」と声をかけながら一人ひとりの名前を書き、2冊持参した方には、「思案がつきたら寝るのが一番」とか「涙を蒔いて喜びを刈る」等のことばをかきそえたり、時には「うまい字ですね」とほめたり「変わった苗字ですが、どこの出身ですか」と聞いたり‥‥。
 色紙を持参した人には、僕の座右の銘です、と言いながら「むづかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをゆかいに、ゆかいなことをまじめに書くこと」とていねいに書かれます。
 この間、約1時間半、70人の方に100冊ぐらい書かれたでしょうか、「僕は書いているときが一番楽しいよ」と嬉しそうな声で話されました。
 一緒にいると、まわりにいる人まで幸せな気持ちにさせてくださる、そんな井上さんでした。(勝田 記)