本日は憲法問題を中心に平和と核兵器廃絶への展望についてお話します。では、さっそくレジメにそって始めさせていただきます。

小泉内閣はきわめて異例

45年ぶりの憲法改正論と16年ぶりの靖国神社公式参拝

 小泉内閣は、大企業中心の経済回復政策である「聖域なき構造改革」を断行することを最大の課題としており、その点では今までにない「画期的」な政権として登場しました。
 しかしその特徴にくらべればあまり注目はされてはいませんが、じつは日本の「軍事大国化」についても一石を投じようとしている点でも特別な内閣です。
 4月26日に行なった首相就任時の記者会見では、小泉首相は歴代総理の挨拶とくらべても、きわめて異例の発言をしました。おそらくご記憶はないと思いますが、こんなことを言っています。
「日本国憲法は第9条で軍隊の保持を禁止しているが、現在の自衛隊の規模と役割はこんなに大きくなってきており、憲法と矛盾している。憲法改正を行なうことは急務となっている。しかし、すぐに憲法を改正することは国民の合意が得られないだろう。そこで、まず従来のように政党や派閥ではなく、国民の手で首相を選出する「首相公選制」を実現するところから憲法を改正していきたい。これは21世紀の日本の民主主義の前進のために非常に重要である。これがこの内閣の課題の一つである。また、国のために命を捨てた人々をまつっている靖国神社へ、ぜひ首相として公式参拝を行ないたい。」
というものです。これは今でも議論が続いていますが、「公式参拝」に対して諸外国から批判の声が挙げられていることについては、「なぜそのような声が挙がるのか、全く解し難い」と述べています。

 この二つの発言がどんな意味で「画期的」なのかを手がかりにしながら、私の話を始めたいと思います。

50年代の改憲の動きとその挫折

憲法改正をめざして自民党が誕生
 内閣の政治課題として憲法改正を打ち出した日本の首相は、じつは46年前の鳩山一郎さんだけであって、それ以降、これを打ち出した首相は存在しません。
 鳩山首相は、アメリカから押しつけられた日本国憲法を改正することで、アメリカによる占領体制を打破したいということを政治課題に挙げました。
 ついでに言うと、今の自由民主党は、当時の自由党と鳩山氏が代表を務める民主党が合併して誕生したものです。ではなぜ合併したのか?この頃は大きな左派政党である日本社会党が誕生し、憲法改正をめざしていた鳩山氏は、保守政党が二つに分かれていたのでは憲法改正ができないと考えたからです。ですから自由民主党というのは、もともと憲法改正をするためにできた政党であって、その政治綱領には、占領体制を打破して自主憲法制定を求めると書かれています。
 鳩山首相の前任の吉田茂首相は森さんほどではありませんが、国民に人気がない首相でした。その反動から鳩山首相には、小泉さんほどではありませんが、人気が集まり、1950年頃は今以上に憲法改正の可能性があった時期だったのです。しかし55年頃から憲法改正を求める国民世論は、急速にしぼんでゆきました。国民の生活が少しずつ安定し、戦前より戦後の日本のほうが優れているという声が大きくなりはじめ、憲法改正という自民党の政治課題に反対する声がしだいに大きくなってきていました。

岸内閣と60年安保改定
 ドイツでは戦争責任追及のためナチスの残党を検挙していた頃、日本でA級戦犯である岸信介首相が就任したことは、世界中からかなりの注目を浴びました。
 岸首相は、日本とアメリカが対等の立場にたつためには、アメリカ軍に守ってもらうだけではなく、日本も自衛隊を持って、共同してアジア太平洋地域の安全を守ることが必要と考えたのです。そのために日米安全保障条約を強行採決によって締結しようとしました。この少し前には国民の反対運動を抑えるために、警官の権限を強める「警職法」が国民の集会やデモでつぶされたり、教師の「勤務評定」が全国で大変な問題になりました。
 安保論議が大変な場面を迎え、連日30万人もの人々が国会を取り囲んでいた時、岸首相は、「ここに集まっている人間は赤に使嗾(しそう)された者の集まりだ。多くの国民は声なき声をもって私を支持してくれている。後楽園球場では5万人の人がジャイアンツの試合を見ている。」という有名な発言をして、多くの国民の怒りをかっています。
 余談ですが、当時、石原慎太郎さんは安保そのものは賛成だったのですが、国会の強行採決をみて、「こんなことでは日本の民主主義が壊れてしまう」と、大江健三郎さんたちと「若手の作家の会」を作って、デモに参加したんです。今なら、顔を赤らめて若気の至りだと怒鳴りつけると思いますが。
 自民党は、この60年安保の経験を通して決定的に変わったと思います。日本の軍事大国化のための憲法改正は、自民党政治が崩壊しかねないとても危険な選択であることを知り、それ以降の首相は憲法改正を打ち出さなくなっていったのです。

60年安保以後の保守政治の転換

 岸首相の次の池田勇人首相はもともとタカ派で積極的な憲法改正派でしたが、首相就任挨拶では、「自分の任期中は憲法改正を行わない」と国民に約束しています。彼自身は憲法改正を積極的に推進する側だったのですが、60年安保の経過をつぶさにみて、自民党政権を維持するためには憲法改正は行なわないほうがいいんだと判断したのです。その言葉を信じない野党の追及に対して池田首相が「私はウソは申しません」と、有名な発言をしました。
 次の佐藤栄作も、右から池田内閣を批判していたにもかかわらず、首相就任挨拶で「憲法は今や国民の血となり肉となっている」と述べ、憲法堅持を打ち出しました。
 このようにして、池田首相以後、森首相まで17名の首相が就任時に憲法堅持を宣言するようになりました。あの改憲運動の大御所である中曽根さんでさえ、「私の政権では憲法改正は行なわない」と言わざるを得なかったのです。
 このように、自民党が本音で憲法を守ったというより、国民の運動に対する恐怖によって、日本国憲法を堅持する日本、『ふつうでない国』日本を作り上げていきました。

「非核三原則」と「武器輸出禁止三原則」
 1960年代、アメリカやロシアなどの経済大国は既に核兵器を自国の軍備の中心としていました。現在、大国と呼ばれる国のうちで核兵器を配備しない国は日本しかありません。
 佐藤首相の時代に作られた「非核三原則」~核兵器を持たず、作らず、持ち込ませず~は、自民党が自衛隊を大きくする一方で、野党や国民に対し憲法9条のもとで日本が軍事大国にならないことを証明するための、いわば交換条件として国会決議としたものです。
 同じく「武器輸出禁止三原則」~武器やそのもととなる材料・技術について輸出することの禁止~も、自民党が国民に一定の譲歩をしたことによる産物といえるでしょう。
 現在、世界各国の武器輸出量別の順位をみると、上位からアメリカ、ロシア、中国、フランス、イギリス、ドイツと並んでいます。なおこのうち、ドイツ以外は国連安全保障理事会常任理事国です。ですから、国連が武器輸出禁止や核兵器の禁止をやるはずがありません。特にロシアや中国は、最大の輸出製品が武器です。もしこれらの国で武器輸出が禁止されていれば、コソボやユーゴで紛争は起きるけれども、あのような戦争にはなりません。
 もし世界第二位の経済大国である日本が、この「武器輸出禁止三原則」を持っていなかったとしたら、高品質で安く、故障知らずの日本製の武器が既に世界を席巻し、多くの人々を殺し、もっと早くから戦争に加担する国になっていたでしょう。
 そこまで考えて佐藤さんが輸出を禁止したわけではありませんが、ともかく通産省が厳しい行政指導でチェックしたことによって、三菱やNECとか日立、東芝などが武器生産に手を出さなかった。現在、自衛隊用に武器生産をしている企業はありますが、国内だけでは採算がとれないため、その企業の中核を担うものとなることはありませんでした。このような条件が、日本の軍事大国化を抑えてきたのです。
 このように、歴代の総理大臣が憲法を改正すると言わなかったのは、けっして偶然ではないし、軍事大国化しなかったのも偶然ではなかった。自民党政権が危険な法案を通すたびに、国民の平和のためのさまざまな運動が起き、彼らなりに大きな代償を払ってきたのです。
 日本はこうした政策の結果、60年代から始まって今に至るまで、世界の先進国の中できわめて珍しい国になっています。核兵器を持たない、武器輸出をしない、という他に、軍事大国ではない、ということです。軍備の絶対額では世界2位で、この点では立派な軍事大国と言えますが、財政に占める割合は5%台です。この数字は客観的にみて、『ふつうの国』ではありません。

中曽根首相でさえ、靖国参拝は1回きり
 これまでお話したことで、小泉首相の打ち出した「憲法改正」発言が、いかに画期的であるかご理解いただけたと思います。
 45年ぶりの憲法改正議論は、旧来の自民党を変えうるものであることは確かです。マスコミはあまりこの点にふれていませんが、これは不勉強といわざるを得ないでしょう。
「靖国神社公式参拝」発言についても、中曽根首相以来15年ぶりです。その中曽根さんも中国や韓国から強く反対を受け、一回参拝したのみでその後は断念しているのです。実はその時、中曽根さんは靖国神社に東条英機らのA級戦犯が英霊として奉られていることを承知していませんでした。彼が参拝したのは、日本の軍事国家としてのナショナリズムを形成することが目的でした。この時期に国会議員に初当選した小泉首相は、こうした経緯をよく知っているはずなのです。

80年代半ばからの日本企業のグローバル化

 これまで、日本の軍事大国化が前進しなかった大きな理由に、国民の反対世論がありましたが、もう一つには、大企業がそれを重視していなかったことが挙げられます。
 それが80年代には企業が軍事大国化に非常に強い興味を持つようになってきていました。

アジアへ進出した企業が軍事力を切望
 日本の企業は従来、製品を国内で作りそれを海外へ輸出するスタイルをとってきました。しかし、80年代中頃には円高傾向が強まり、従来のスタイルでは利益を出すことが難しくなってきて、そのため企業は生産拠点を海外に求め、次々に進出していきました。
 日本の経済活動をみると、日本の海外直接投資額(海外で工場を建設するなどの費用)が、84年に初めて100億ドルを超えました。その後、88年には675億ドルに成長し、世界第一の海外進出国となりました。
 なお、イギリスは19世紀中頃から現在まで150年をかけてインドに進出し続けており、アメリカは80年ほど進出し続けています。それを日本は5年ほどで抜き去ったのです。
 日本は80年代は北米や欧州を中心に展開していましたが、90年代に入ってからは特にアジアに多く進出してきました。それは、賃金が安いこと、労組の禁止・女性差別が公然とできること、環境保全のための基準が緩いことなどの条件に起因しています。それに対し、欧米への進出は赤字を覚悟しなければならなかったのです。
 では、なぜ欧米の企業はアジアに進出しなかったのか。その理由は、アジアには軍事独裁政権による国が多く、なによりも戦争や内紛で企業が投下した資本を失う危険があったからです。結果として日本は無防備で出ていってしまった。それらの脅威から企業の資本と邦人労働者を守るため、自国の軍事力を求めるようになってきたのです。

『国際貢献』という名の海外出兵
 このように、財界大企業から軍事大国化が求められる一方で、自民党は60年代の安保闘争時の恐怖の記憶から、軍事大国化へはなかなか踏み切れずにいました。実際、小泉首相が掲げる政策のなかで、「聖域なき構造改革」に対しては7割もの支持が得られているのに、「靖国神社公式参拝」は10数%しか支持されていないのです。また、日本国民だけでなく、アジアの人々も軍事大国化に強い危機感を抱いています。
 アジアへは経済的に進出したいのに、自らの安全を得ようとするとアジアの人々から軍事大国化を批判される。その矛盾を何とか回避するために、自民党と財界は新しい形態の軍事大国化を押し進めることとなったのです。
 その新しい軍事大国とは、民主主義を蹂躙し、徴兵制によって国民が強制的に兵隊にとられる、そのような従来の暗いイメージを持つ軍事大国ではありません。
 今日本がめざす軍事大国とは、『国際貢献』という名の下で海外出兵を行ない、多国籍企業の安全を守るというかたちなのです。北朝鮮やイラクのような小規模だけれども何か危ない国家が武力を使用することを、軍事力世界第1位のアメリカと2位の日本が協力して抑える、といった形態を目指しているのです。それは湾岸戦争時のように、国民はお茶の間のテレビをとおして、ゲームのように戦争を見るというものになるのでしょう。

日本は再び「殴る」側の国に

 多国籍企業の世界展開を守るという新しい軍事大国化をめざす日本は、再び「殴る」側の国に入ってしまいました。殴られる国という点では、たとえば日本も原爆や大空襲の悲惨な痛みを忘れないで、強い平和運動があります。しかし朝鮮や中国に対して日本が殴ってきた歴史については、殴られた痛みほど感じていないのです。私たちも、ともすれば「新しい歴史教科書」について韓国や中国はいつまでしつこく言ってるの?という感じを持っていないでしょうか。それは私たちが殴る側だったからです。
 いじめ問題でも同じです。いじめる側は、いじめられる側にも責任があるといいますが、いじめられる側がどのような思いでいるのかわかっていません。今まで日本は殴られる側にいたので、その気持ちがわかる国でした。強い平和運動がありました。しかし、現在は殴る側の国に変わってきているのです。いまこそ、私たちは本当の平和運動を展開できるのか、それが試されるときがきています。

日本はふつうでない、すばらしい国

 日本はふつうの国ではありません。「日の丸・君が代」法案は通ってしまいましたが、いまだに教育現場では、この旗は侵略戦争の旗ではなかったかという論争がされています。このような国はほかにあるでしょうか?
 アメリカの星条旗は確かに市民革命の旗ですが、第二次世界大戦後200回にわたって侵略戦争の旗になったし、数十万人のベトナム人を殺した旗です。しかしアメリカで、その旗や国歌の下で他国に対してどんな悪いことをやってきたかという、国民的議論があるでしょうか。私は聞いたことはありません。それに比べれば、日本はそれだけ平和に対する認識ができている、はるかにすばらしい国だと思っています。

平和への財産をたくさん持っている
 しかし、今の日本はアジアに進出することで経済を保っている状態といえます。日本人の食料はほとんどアジアが担っています。タイでは、タイ人が食べない日本米ばかりを作って、タイの農業が破壊されています。アジアに進出した日本企業は、その国の農業や漁業までも、日本の市場にあわせたものに作り替えてきたのです。
はたして、このままでいいのでしょうか。
 日本はアジアや世界に対し、平和を訴えるための財産をたくさん持っています。
 核兵器を持っていない。武器を輸出していない。軍需産業を持っていない。少なくとも戦後は海外に行って人を殺していない。こんな国が世界のどこにあるでしょうか。
 いま私たちには、憲法改正によって軍事国家を進め、経済大国として君臨し続けるのか、それとも殴る側の立場をやめ、アジアの経済と日本の経済を一緒に繁栄させる道を追求するのかが、問われていることを強調して私の話を終わります。