上映が始まると製作支援団体の名称が並び、その中に『核兵器廃絶をめざす富山医師・医学者の会』もあります。
(図①)
 映画は、浦上神学校の建物を敵対宗教との理由による軍の接収から守るため、医師を招聘して結核療養病院に衣替えするところから始まります。そこに赴任したのが若き秋月医師です。その浦上第一病院のスタッフたちは戦時中の不自由な中でも、地域の患者のために献身的に働きます。
(図②~③)

スクリーンを揺るがす原爆投下シーン
 八月九日午前十一時、いつものように畑で働く老人たち。校庭で遊ぶ子どもが飛行機の音に気づいて空を見上げると次の瞬間、真っ白な光と猛烈な爆風とともに大音響がスクリーンを駆けめぐります。
 天主堂の鐘楼が吹っ飛び、アンゼラスの鐘が瓦礫に埋もれ、木造家屋は一瞬で消え…。青く晴れていた空が夜のように暗くなり、人々のうめきと助けを呼ぶ声だけが聞こえます。炎に包まれた病院で必死の救出活動。爆心地からかなり離れた病院でこの状態ですから、長崎市街は想像できない状況です。(図④~⑦)

油を塗るだけの治療 次々と不可解な症状が
 被爆直後から秋月らは入院患者はもちろんのこと、周辺住民を献身的に治療しますが、薬や器具がほとんどありません。治療といっても火傷に油を塗るだけの毎日に無力感を覚えます。
 秋月は戦争遂行を鼓舞しにきた町内会長に怒りをぶちまけます。(図⑧~⑨)
 数日経って不可解な症状に遭遇します。直接熱や爆風に遭わなかった人たちの髪の毛が抜け、歯茎から出血し、至る所に紫斑が出て、次々に亡くなっていきます。
 中でも母親が両手に火傷を負いながら燃える家からようやく救った元気な子どもたちが、幼い順に次々と亡くなっていく様子はあまりにも理不尽で涙が止まりません。原爆は助かって安堵している人をも、爆心地から近い順にじわじわと殺していく、まさに悪魔の兵器です。(図⑩~⑪)

爆心地に近い患者から まさに死の同心円

 放射能による患者たちの苦しみに対し何もできない焦燥感と無力感に襲われながら、修羅場を逃げださなかった秋月たち。爆心地に近い人から亡くなっていることから、秋月は「これは死の同心円だ」とつぶやきます。
 九月に入って、枕崎台風が襲い、秋月らは患者たち安全な霊安室に避難させます。結果的に台風の雨風は汚染された水や土を洗い流し、占領軍の放射能測定がその後行なわれたことをナレーションが抗議を込めて静かに伝えます。
 瓦礫の中から掘り返されたアンゼラスの希望の鐘を鳴らすところで映画はエンディングを迎えます。
  (図⑫~⑯)