7月31日、核兵器廃絶をめざす富山医師・医学者の会(以下、核兵器廃絶医師の会)は映画「父と暮せば」上映と被爆者の講演のつどいを開催しました。これには富山県被爆者協議会と富山県保険医協会が後援しました。
会場となったタワー111(富山駅北)のスカイホールには130人が来場し、ヒロシマの原爆投下の悲惨な実相と真正面から向き合いました。
司会を核兵器廃絶医師の会の小栗絢子世話人副代表が務め、主催団体を代表して金井英子世話人代表が挨拶をしました。
映画「父と暮せば」は、原爆投下後の広島を舞台に、生き残った負い目に苦しみながら生きる娘と、幽霊の姿で現れた父との心の交流を描いた人間ドラマで、原作は井上ひさしが書いたものです。
映画上映後、県被爆者協議会会長代理の田島正雄氏は、会員の高齢化と相次ぐ訃報で、被爆の実体験を若い世代に伝えることが次第に難しくなっている現状を訴えました。
今年、生々しい被爆体験をお話いただいたのは飯田國彦氏。3歳で爆心地から900㍍地点で被爆、母と姉は相次いで亡くなり、氏自身も無数のガラス片が突き刺さった傷が化膿、栄養失調でその傷口が閉じるのに7年もかかりました。
被爆体験証言「核兵器廃絶、恒久平和への道」
広島原爆孤児、被爆体験証言者 飯田 國彦 氏
主催者挨拶:金井英子世話人代表
原爆の恐ろしさを語り継ぎ、原発事故から子どもを守りたい
わたしども核兵器廃絶をめざす富山医師・医学者の会は、核兵器をなくしたい、悲惨な戦争をなくしたい、と願う医師と歯科医師の集まりです。人数はそう多くはないですが、1989年から25年間、地道に活動を続けてきました。
被爆体験を聞く機会をできるだけ続けたい
私どもが主催する企画で、被爆者の方のお話を聞くのは今年で3回目です。お手元の資料にありますが、2008年に富山県被爆者協議会を取材したときには会員数は102名、2010年に第1回目の「被爆体験を聞く会」を開催したときは97名、そして2回目の昨年は50数名となっていました。
このように今、被爆者の皆さんの高齢化が急速に進んでいて、貴重な体験談を聞くことが次第に困難になってくると思います。私たちの会では、これからは毎年、この被爆体験を聞く会をできるだけ続けていきたいと思っています。
お話される飯田さんと映画の「さだこ」
昨年は、アニメの「はだしのゲン」を上映しました。今年の企画は映画の千羽鶴より先に、お話される方が飯田國彦さんに決まりました。飯田さんは3歳で、広島の爆心地から900㍍という至近距離で被爆され、奇跡的に助かった方です。そこで、映画については、飯田さんとほぼ同じ年齢で被爆し、一旦は元気に育ったのだけれども12歳で原爆症で亡くなった少女、佐々木禎子さんをモデルにした映画「千羽鶴」を選びました。ちなみに私の旧姓も佐々木です。そして私の父も広島で被爆し、30年近く前に亡くなりました。
この映画は1958年に制作公開されました。画像は白黒です。けれども撮影現場や風俗はさだこさんが生きた当時とほぼ同じと思われ、記録映画として非常に価値があると思います。
ただ、病名の告知という場面においては現在の感覚では違和感を覚えます。しかし、当時は多分それが普通であったのだろうと私は解釈しています。そして、登場する先生と子どもたちの行動や考えの純粋さや美しさは時代を経てもいささかも衰えることなく私たちの心に響くだろうという事を予告させて下さい。
原発事故による子どもたちの内部被ばく
1986年のチェルノブイリ原発事故では放射線の高度汚染地区において明らかに幼児、すなわち子どもの白血病が増加したという結果が出ています。そして被曝線量の増加に比例して病気が増加すると報告されています。また、ギリシャではおなじくチェルノブイリ原発事故の汚染により乳児白血病が増加したということが、1996年のネイチャーという有名な科学雑誌に掲載されました。これらはすべて内部被曝、すなわち放射能、おもに放射性セシウムですが、汚染された食物を摂取したことによる体内被曝が原因とされています。福島第一原発事故によって被曝したフクシマの子どもたちにも甲状腺疾患以外にも内部被曝による病気の増加がないか注意深く観察して行くことが必要です。
少しお話が難しくなりましたね。お許し下さい。
では、どうかゆっくりご覧下さい。そして、心の目に焼き付けて行って下さい。