核兵器廃絶をめざす富山医師・医学者の会 
世話人副代表 小熊 清史

 この講演会は「富山県保険医協会」と「核兵器廃絶をめざす富山医師・医学者の会」の共催です。
「保険医協会」は1979年設立。健康保険を扱う医師・歯科医師の団体でして会員数は約1,200人です。「反核医師の会」は1989年に設立されました。会員数は約70人です。肥田舜太郎先生や長崎の被爆者・山口仙二氏、元長崎市長・本島等氏、などいろんな方の講演会、さらに、映画「千羽鶴」や映画「アンゼラスの鐘」の上映会などを開催してきました。
 従来は「核兵器反対」に絞って、あえて原発には触れずに活動してきました。しかしフクシマの事故を受けて、国民の命と健康を守る立場から反原発の意思表示をしました。

 主催者を代表して、挨拶がわりに3つのエピソードをご紹介いたします。うち2つは富山県人として恥ずかしいものです。
 最初のエピソード。9月7日の読売新聞社説をお読みになったでしょうか。原発にサヨナラではなく、脱原発にサヨナラをしましょう、という社説です。サヨナラなんて軽いことばではなく「決別」という格調高い言葉が使われています。原子力村のマニフェストとでもいうべき内容です。批判する立場からも必読です。この新聞社の現在を築いたのが、富山県出身の正力松太郎です。プロ野球の父、そして原子力の父とも呼ばれます。「郷土の偉人」などと呼んできたことを恥じるばかりです。
 もうひとつ恥ずかしいエピソード。富山市に本社のある北陸電力のお話です。今年10月、「原子力安全信頼会議」なるものを設置しました。この会議の委員に東大教授・大橋弘忠先生が名を連ねています。「原子炉格納容器は壊れない、プルトニウムは飲んでも安全です」と主張して、たいそう有名になった方です。北陸電力はなぜこんな人選をしたのか? 富山県人として恥ずかしく思います。
 さいごに、ちょっと誇らしいエピソード。
 私は魚津市に住んでいます。魚津市の山奥に虎谷(地元では「とらだん」と呼んでいます)という集落があります。1ヶ月ほどまえ、山野草を眺めたり写真を撮ったりしながら早月川を遡上しました。車がすれ違えない小さなトンネルをくぐると虎谷です。そこで「小水力発電」の工事現場に遭遇しました。全国初の市民出資による小水力発電プロジェクトとのことです。すこし自慢のタネになります。
 「立山アルプス小水力発電事業」については本日の資料をご覧下さい。「エナジーグリーン株式会社」創業者で現在相談役、「おひさまエネルギーファンド株式会社」の代表取締役が飯田哲也さんです。