イラク戦争・国民保護法制とは

国民の平和意識を変えることが真の狙い

青島明生(あおしま あけお) 弁護士・市民オンブズ富山代表

 私と平和運動の関わりのルーツをたどれば、小学校時代に本屋で手に取った原爆の黒こげの写真にあると思います。以後中学、高校と憲法九条やイタイイタイ病に関心が広がり、法律で正義を実現できるんじゃないかとこの道に決めました。

戦争の悲惨さを伝えない日本のマスコミ

 今回のイラク戦争で特に感じたことは日本のマスコミのひどさでした。世界では国際法から見てこれでよいのかという批判がありましたが、日本では赤旗と週間金曜日くらい。特にNHKは戦況の垂れ流しに終始し、戦争の悲惨さが伝わって来ませんでした。
 以前、日本で報道されなかったことで「死のハイウェイ事件」というものがあります。湾岸戦争でクウェートから撤退しているイラク軍を米軍機が背後から攻撃したのです。これも国際法に反する残虐な行為でした。

国際法を根拠とした運動は大いなる歴史の進歩

 国連安保理や世界の反戦世論にもかかわらずアメリカは武力攻撃を行いましたが、時間が経つにつれイラク戦争の真実が明らかになってきました。大量破壊兵器はいまだ出て来ない上に、ウラン輸入をめぐる情報操作が明らかになり、米英では政権の責任問題にまで発展しています。
 イラク戦争反対運動をどう評価するか。私は平和運動というものは勝ち負けでなく、賛同者をどれだけ増やしたかが問題で、今回の経験は多くの人々が国際法を根拠にして反対したということで、大いなる歴史の進歩だと思っています。あのベトナム戦争でさえ、今回反対した国も安保理も反対しなかったのです。
 国連の役割についても日本のジャーナリズムでは、国連や安保理の無力化とアメリカの力の支配を肯定する論調が目立ちました。しかし、皮肉にも今回ほどアメリカが安保理の決議を追求したことはありません。ヨーロッパでは一国主義に陥ったアメリカの対抗軸としての国連の価値を高く評価する報道が行われています。

富山のイラク反対運動

 イラク反対運動は、富山でも新しいスタイルで展開しました。若い人の多くが個人として参加し、インターネットの掲示板が連絡や議論の場となりました。政党も賛同人の一人として参加し、今までにない層への拡がりがありました。「ヒバクシャ」の上映では、連合や自民、共産など分け隔てなく声をかけ、やれることに自ら敷居を設けないことが特徴でした。
 その一方で「こわい人と見られたくない」とか、職場との関係で過度に政治的な判断をするケースが多いことも、ある意味富山らしさかなと感じています。

国民「保護」じつは「統制」

 憲法違反のイラク特措法が成立し、次は「国民保護法制」が来年春の成立めざして準備がすすめられています。これは一口に言えば、すでにある災害対策基本法の「災害」を「武力攻撃事態」に置き換え、国内を戦時体制とするものです。内閣総理大臣が判断すれば、地方自治体や医療など公共的な業種の民間人に命令でき、もし従わないものがあれば懲役などの罰則も設けてあります。これと似たようなことで、1933年から行われた防空訓練があります。その当時、日本を空爆する国など考えられなかったのですが、国民に恐怖の意識を作り、好戦的な世論づくりに有効でした。この「国民保護法制」も短期的には、米軍支援を可能にする「武力攻撃事態法」の国内整備が目的ですが、もっと大きなねらいは戦後の日本国民が憲法第九条の下で培ってきた平和意識を後退させることにあるのです。


参考

「国民保護法制」の経緯とスケジュール

H14.10   全国都道府県知事会議で基本的な説明
H15.1  地方公共団体や関連民間機関に輪郭説明と意見聴取
H15.4  衆院事態対処特別委で「国民保護法制について」提出
H15.6 「武力攻撃事態対処法」施行
H15.6  国民保護法制整備本部会議…主な検討項目の整理
H15.10  国民保護法制整備本部会議…法案要旨及び論点整理
H15.12  国民保護法制整備本部会議…法案の作成
H16.1 国民保護法制整備本部会議…法案の決定
H16.3 法案の閣議決定、国会へ提出

*国民保護法制整備本部会議…福田康夫官房長官を本部長とした主要閣僚で構成される