貧困、医療、経済、そして平和

~変わるアメリカ、混迷する日本~

アメリカに憧れていた私

ジャーナリスト 堤未果氏

 私は小・中・高と和光学園に通った。この学校は小学生のときから原爆や戦争の歴史教育をしっかりやり、修学旅行は必ず広島・長崎だった。私はそれがとても嫌だった。そのため高校卒業と同時にアメリカへ留学した。その頃の日本は若者に「自己実現をしなさい」というような時代で、留学先で一番人気だったのがアメリカだった。メディアはアメリカ資本主義のいい部分を追っかけ、自由と民主主義に満ち、豊かで私たちにもすごくキラキラして見えた。
 しかし今のアメリカというのは、まさに「貧困大国」という言葉がぴったりで、当たり前の暮らしができない国民がどんどん増えている。ひと握りの大金持ちと、それ以外の借金漬けの人たちがどんどん増えていく。そういう国になってしまった。

9・11と9・12

 以前のアメリカの格差というのは、とにかく人種の格差だった。ところが、ある時から経済格差が前面に出てくるようになってしまった。かつて格差の上の方にいた白人や男性、弁護士、医師のような人たちであっても、なぜか次々と転落していっている。この傾向が顕著になったのは、やはり8年前の2001年9月11日の同時テロだったように思う。
 9・11の朝、最初は誰もが事故かと思った。続いて2機目が突っ込んだとき、これはテロだと皆が恐怖でパニックになった。
 しかし、9・11よりもっと怖かったのが、翌12日の朝だった。すべてのメディアが同じようなことを、同じような切り口で流した。テロリストの名前と写真がそこら中に流れ、煙が出ているビルの映像を繰り返し流していた。映像というのは冷静に考えさせず、皮膚感覚でわかったような気にさせる効果があり、とにかくこの人たちが犯人なんだと理屈抜きで、身体でそれを感じるようになってしまう。その後に、「私がアメリカを、テロから守ります」というブッシュ前大統領の演説があった。
 このように、メディアが外にわかりやすい敵を作り、それを毎日映像で流したことで、アメリカ国民は恐怖に飲み込まれた。その結果、まずは身を守るため武器を増やしたくなる、そして、非常に勇ましい、強いことを言うリーダーについていきたくなる。ブッシュは、暗黒の8年間をもたらした史上最低の大統領と今では言われているが、9・11直後の支持率というのは、世界中が絶賛した昨年12月のオバマ大統領の支持率の87.3%をはるかに超えた92%にもなった。アメリカ国民は都市を一歩出ると新聞を取ってないので、情報はテレビから入れるしかない。映像メディアというものがどれだけ世論を作り上げるのに効果的に働いたかおわかりいただけると思う。

3大政策

 テロとの戦い一色になったときに、政府は3大政策を推し進めた。
 一つは、「社会保障費の削減」。軍事予算を60兆円に上げたために社会保障や福祉などを削った。たとえば教育予算が削られて学費が上がり、貧しい子供たちの医療保障の予算が削られ、失業手当が削られ、セーフティネットが次々と削られていった。
 二つ目は、「個人情報の一元化」。これは、テロリストがどこにいるか監視するために国民の個人情報を全部政府が管理するとして、個人情報の一元化が行われた。
 日本でも国民総背番号制や、診療情報をオンライン化して情報を一元化するなどの案が閣議決定されているが、個人情報を政府が一元化すると言い出したら非常に危険である。政府は必ず国民に対していいことばかりを並べて説明するが、個人情報の一元化には問題が二つある。まず、個人情報が別の目的で流用されるかもしれないということ。もう一つは、必ず何か別の法案とセットで出てくることだ。アメリカの場合それは「愛国法」だった。これはテロリストの疑いがある、と当局が判断した人は令状がなくても逮捕ができる法案で、政府が個人情報を見て、危険人物だと判断したら問答無用で逮捕するということが9・11以降頻繁に起きている。
 日本の場合はどうか。個人情報一元化の法案がいろいろと審議されているが、たとえば「人権擁護法案」というのがあり、これがセットで出される可能性も考えられる。この法案は、自民党政権のときに何度もでて、民主党も提出する、としている。これは、人権侵害のような言動をした人を問答無用で逮捕し、人権委員会が人権侵害をしていないか判断をするといった、治安維持法に近い、非常に怖い法となっている。ところが、マスコミはこの法案についてはなぜか全然報道しない。私はこの法案がアメリカの愛国法のようになるのではないかと心配に思っている。
 三つ目は、自己責任・自助努力をキーワードにした「民営化の拡大」だ。アメリカはもともと民営化が主流ではあったが、その中でも今まで民営化をしていなかった教育や軍、自然災害に対応する災害機関などで実質的に民営化を進めていった。これらの三大政策が進められて、格差が広がっていくこととなった。

落ちこぼれゼロ法案

 テロの直後2002年の春にアメリカで教育の法律が改正された。これは通称「落ちこぼれゼロ法」という法律で、一見、教育の法律だと皆が思っていたが、実は別の目的で導入されていた。
 「落ちこぼれゼロ法」を教育省のHPで見てみると、さりげなく「アメリカのすべての学校は生徒の個人情報をすべて米軍に提出すること。もし拒否したら国からの助成金を全部カットします。」と中に書かれている。貧困地域の高校は国からの助成金をカットされると、ただでさえ三大政策で教育予算が削られているため、運営できなくなってしまう。そのため、子供たちの個人情報を全部軍に出すことになった。軍に行った個人情報というのは、生徒の名前、住所、親の年収、親の職業、成績、市民権を持っているか持っていないか、最後に生徒の個人の携帯電話の番号だった。軍はこの個人情報を元にできるだけ将来がないような子供たちを順番にリストにしていき、リクルーターが電話をかけて軍への入隊を言葉巧みに勧めていく。
 リクルーターの5大勧誘条件が、①学校の費用を5万ドルまで軍が支給する、②好きな職種をリストから選べる、③予備兵なら戦地に送られるのは数%、④90日以内なら取り消してもいい、⑤軍に入って軍の病院で無料でかかれる。これらは、非常にトリックが多くほとんどの学生がそれに引っかかって入隊してしまう。
 ①の条件は支給額ではなく上限であり、実際は平均して1万8千ドル。現在は学費が高くなっているので、結局、バイトや借金をする。入隊する子供たちのどのくらいが卒業するのかというと、15%しかいない。
 ⑤の条件も、社会保障費の削減によって軍の病院の予算が削られ次々と閉鎖しているため、多くの帰還兵が受診予約さえとれない状況だ。
 教育へのアクセス、最低限暮らしていけるだけの賃金、医療へのアクセス、そういうものが3大政策によって奪われた層の人たちが、生存権と引き換えに入隊してイラクへ行っている。貧困から抜け出たくて入隊したのに、給料があまりにも安くて実際は貧困からは抜け出せないという。

派遣社員が支える戦争

 3大政策によって格差が広がり、中流層の学生も借金漬けになっている。しかも学資ローンは消費者保護法からはずされていて、借金漬けになっても、サブプライムのように家を手放せばチャラになるということが決してできない。一生借金に追いかけられる非常に恐いローンになっている。
 今アメリカで一番儲かっている派遣会社というのは、国際的に活躍している派遣会社で、この会社はなぜか年収がすごく高い。学歴やスキルも関係なく、800~1千万保障する、と。しかし、勤務先は全てイラクになっている。つまり、借金漬けになって派遣社員になってイラクへ行くことになる。
 しかし、派遣社員は兵士よりも実は待遇が悪く、日本と同じで労災は出ない。全部自己責任となる。途中で放射能で汚染された水を飲んで被爆しても労災にはならない。もし被爆して白血病になって期間満了まで働けなかったらペナルティを払えと言われる。さらに兵士だと戦死した場合、顔と名前がテレビに出るが、派遣社員だともし死んでも名前も住所もどこにも出ない。派遣社員というのは民間人なので、政府が発表する戦死者にも数えられない。
 実は、現在イラク戦争を支えている51%は民間人で、兵士よりも多くなってしまった。だから兵士の撤退ももちろんであるが、イラク戦争で非常に儲けを出している派遣会社とアメリカの政府の契約をやめさせないと、イラク戦争というのはどんどん続くことになる。
 このように、テロ後の混乱に乗じて推し進められた3大政策によって、医療や雇用、教育、そういうものを政策によって奪い、国内に貧困層を作り出す。そうすると中流の人も下流の人も、生存権ともいえるそれらと引き換えに軍に入隊、あるいは派遣社員となって戦地へ行く。こういう仕組みで戦争が回っていく。私はこの仕組みを「経済徴兵制」と呼んでいる。
 アメリカ全体に経済徴兵制という仕組みが敷かれ、史上最低といわれたブッシュ前大統領はある種の業界の人からは、史上最高と呼ばれている。経済徴兵制というすごく効率的な仕組みをアメリカに作った。それをオバマ大統領が引き継ぎ、今もイラクやアフガニスタン、パキスタンに拡大している。

オバマ選挙が教えたこと

 本日の演題で「変わるアメリカ」とあるが、「変わるアメリカ」と聞いてまずイメージするのは、オバマ大統領の「チェンジ」だと思うが、オバマ大統領が「チェンジ」を起こしたというよりは、オバマ大統領が旗振り役となってアメリカ国内が変わってきたというのが現状である。
 選挙前に、オバマ大統領はイラクからの兵の撤退を言っていたが、選挙後には戦闘要員だけを撤退させそれ以外は残す、となり、さらに、イラクには5万人の兵を残す、に変わった。また社会保障費の削減も続いている。オバマ大統領が最初に掲げた志がいろんな圧力でどんどん変わってきている。オバマ大統領を支持した人の中には、オバマ大統領に幻滅した人がいる一方、自分たちが選挙が終わった後も政治に関心を持ち、かつての公民権運動のように声を上げ続けていかなければならない、と気づき行動を起こしている人たちがいる。
 チェンジを掲げたオバマ選挙がアメリカ市民に教えたことは、チェンジを起こすのは自分たち国民だということ。国民がリーダーをしっかり支えて育てていく、ということをアメリカ人が気づいたのである。

「核なき世界」と被爆者の声

 イラクやアフガニスタンから帰ってきた兵士たちは、高校生たちに戦争の真実を伝える活動や、国内の医療従事者の人たちと一緒になって活動をしている。被爆者である彼らは、ノーベル賞受賞のニュースを聞いたとき、これからが自分たちの出番であり、オバマ大統領が掲げた「核なき世界」というコンセプトを本物にするのは、政治の力・核保有国の力ではなく、自分たち被爆者の声なんだ、と感じたという。日本の被爆者たち、世界中の被爆者たちと手をつないで、このことを政治的ではなく実際に被爆し、被害にあった人間として声を上げていく、そういう活動を彼らははじめている。
 私はやはり核のない世界ということを私たちが実現するときに、医師たち医療従事者の現場からの声というのは、非常に力になると思う。そして、私たちがその人たちと手をつないで、国境を越えてその声を大きくしていく、オバマ大統領が掲げてくれた「チェンジ」や「核なき世界」というその理想を私たちが実現していく。被爆国の日本にはこれからすごく役割があるなと私は思っている。
 オバマ大統領のノーベル平和賞は本当に賛否両論で、否定的な意見もたくさんある。政治的過ぎるとか、まだ何も実行していないではないか、などの批判に足をすくませるのではなくて、オバマ氏の希望の言葉をすくいとって、私たちが実現していく勇気にしていけばいいと思う。私たちがそれを行動に移して前進したときに、初めてオバマさんのノーベル賞というのが価値を持つと思う。


堤講演を聞いて

来年1月の新刊が楽しみ  世話人  与島 明美

 2009年4月のオバマ大統領のプラハ演説の記事を見たとき、きっとこれから何かが変わるのではと思いました。その後9月24日の国連安全保障理事会の首脳会合では初めて「核兵器のない世界の条件を創る」決議が満場一致で採択されました。さらにオバマ氏のノーベル平和賞受賞というニュースがありました。企画当初は予想していなかったこのような情勢の下で迎えた今回の講演会。このような時にふさわしい講師にきていただくことができとてもよかったです。
 講演は日常的な報道では知ることができないアメリカの姿を緻密な取材で捉え、綿密に分析された内容でした。帰還兵が高校生に語り始めていることに感銘し、核なき世界の実現に向けて日本人、特に日本の医師に対する期待が大きいこと、そして日本が平和憲法を持っているこのすばらしさを知ることができました。平和をつくり、守り育てるためには人頼みではなく、そう感じた人が自ら行動することが重要であり、そのような一人ひとりの力をどう引き出すことができるのかが今後の課題であると決意を新たにしました。
 講演後、ちょうど会場に展示してあった立山の写真を、山に詳しい金井会長の解説付きで見た後、3人でお茶を飲みながら話す時間がありました。とても気さくな方ではじめて会ったにもかかわらず思わず話が弾んでしまいました。山が好きだとのことで富山の宣伝をたくさんして今度は家族と一緒に富山に来てくださいと話し、「ぜひ」ということになりました。来年出版される本も次に会うことができる日も楽しみです。その間に私たちの平和活動も休まずすすめなければなりません。

米国の現実を紹介してくれた堤さん  世話人副代表  黒部 信也

 岩波新書の『貧困大国アメリカ』で貧困と格差が深刻な今アメリカの姿を、私達に生々しく紹介してくれたのが堤未果さんでした。そして今回はその現実を、直接親しく話してくれました。
 低所得者から住宅を取り上げたサブプライムローンは衆知ですが、進学を希望する若者に兵士になることによって返済に便宜が図られる「教育学資ローン」が「経済的徴兵制」の役割を果たし、戦場で働くため好条件の派遣労働者が兵士に匹敵する役割を果たしていることなど、今のアメリカには利潤追求のために戦争を持続すると共に、常に新しい戦争を想定し創り出さねば生きられない勢力による世論操作や議会工作が絶えず行われています。
 国民6人に一人が無保険という問題を改革するためのオバマ大統領の政策が、民間医療保険会社などの猛烈な反対でスムーズに進められてはいません。公的保険に取り込もうとする人達には貧民層が多いため、それにより税負担が大きくなることを怖れる富裕層の強い反対が露骨のようです。
 そして平和や貧困などの問題で無知・無関心こそが大きな壁になっていることを指摘されましたが、そうしたアメリカの歪みを正そうとする草の根の取り組みも紹介されました。その内容は近著『アメリカは変われるか?』―大月書店、1000円-に詳述されています。
 それにしてもアメリカン・ドリームを旗印にして熱狂的な雰囲気で就任したオバマ大統領の支持率が、泥沼状態のアフガン戦争や高い失業率、国民皆保険制度の創設問題でもたつき低下していますが、今回のノーベル平和賞受賞を機に地球上から核兵器を廃絶する運動を進めるのに一層大きな役割を果たしてくれることを期待したいものです。