8月11日、核兵器廃絶をめざす富山医師・医学者の会(以下反核医師の会)は、アニメ映画「風が吹くとき」上映と被爆者の講演のつどいを開催しました。
 会場となったタワー111スカイホールは80名の参加者でいっぱいになりました。司会を反核医師の会の与島明美世話人が務め、主催団体を代表して反核医師の会の金井英子世話人代表が挨拶をしました。(写真は与島世話人)
 映画の登場人物は、イギリスの片田舎で年金生活をおくっている老夫婦。冷戦下の世界情勢は日に日に悪化の一途をたどり、ある日、戦争が勃発したことを知った夫婦は、政府が発行したパンフレットに従い、保存食を用意したりシェルターを作るなどの準備を始めます。そして突然、ラジオから3分後に核ミサイルが飛来すると告げられました。
 シェルターに逃げ込んだ夫婦は爆発の被害からは辛うじて免れましたが、放射線に蝕まれ日に日に弱ってゆきます。互いに励まし合いながら政府の救出を信じて疑わない姿が哀れでした。
 映画上映後、県被爆者協議会の田島正雄氏が広島での体験を話され、被爆二世・三世の会の会長に就任した小島貴雄氏が、今後の決意を述べました。

特攻ボート訓練と被爆直後のヒロシマ
 田島 正雄さん(富山県被爆者協議会 会長)

被爆者の思いを伝える橋渡しを
 小島 貴雄さん(富山県被爆2世・3世の会 会長)

主催者挨拶:金井英子世話人代表

これからも被爆者の思いを語り継ぐために
 広島・長崎への原爆投下から72年が経ちました。7月7日国連会議で核兵器禁止条約が採択されました。この時初めて被爆者の受けた苦しみが条約前文に明記されたのは画期的な事でした。しかし残念ながら日本は制定交渉に参加しませんでした。

 8月9日、長崎平和宣言では田上市長は政府に対して条約への1日も早い参加と米国の「核の傘」に安全保障を依存する政策を見直すように訴えられました。私は市長の意見に全く同感であり、ここで再度みなさんにお伝えさせて頂きます。
 私たち一般市民が、いかにして粘り強く政府に、社会に対して核兵器の悲惨さを訴え、核兵器廃絶を求めてゆくかが大切と思います。また、次々に再稼働される原発に対しても引き続き反対の声を上げてゆきたいと思います。
 この会では映画上映と被爆者の講演のつどいを毎年行って参りました。過去に被爆体験をお話いただいた方たちの事を述べさせていただきますと、水野さんは既に亡くなられました。また田中さんと柴田さんはご病気のために体験をお話なさることは出来ないと聞いております。岸川さんは少し耳が遠い以外にはお元気で、先日「NHKニュース富山人」で核兵器廃絶に対する強い思いを語っておられました。そのような状況であり、被爆者の高齢化と減少が避けられない現状です。 本日講演いただきます富山県被爆者協議会会長の田島さんは、「活動を継続するためには被爆二世の協力を得るしかない」と判断され、先日「被爆二世の会」を立ち上げられました。私は被爆二世です。私の父は広島で被爆しました。そのような事情で私も立ち上げに関わらせて頂きました。この後、田島さんにはその間の経緯もお話頂けると思います。
 では、宜しくお願いいたします。

風が吹くとき・参加者の感想から

●ゆったりとした暮らしが一発の核ミサイルで大きく変化した。何の情報もなく、老夫婦は、いつしか核の被曝で、少しずつむしばまれてゆく、どこからの情報もなく、ついに死んでいった。とても悲しい。

●淡々と進んでいく物語の中で、核兵器の怖さがこれほど伝わってくる映画は初めて。原発の怖さも、この物語のように進んでいるのではないか? きちんと備えをしていて「大丈夫」と思った二人を笑えない。最近「北朝鮮のミサイル攻撃に備えて」という訓練が行われたことを思い出しました。核をなくすことこそが、万全の備えなのでは、と思います。

●「風が吹くとき」は何年か前に見たことがあり知っていましたが、今回、大きなスクリーンで見て、とても強烈に迫ってきました。すばらしい映画です。

●「八月六日」「八月九日」を知らない世代が多くなっている時、また「北朝鮮」そして「アメリカ」の政権による「ことば」が今の世界を暗くしています。今日再び「風が吹くとき」を観させていただき、核の恐怖を感じました。日本人として当然持っていなければならない感情です。戦争はダメだ!