IPPNWのノーベル平和賞受賞が契機

 1985年、IPPNW(核戦争防止国際医師会議)がノーベル平和賞を受賞し、それを契機に全国で反核医師の会を作る動きが高まりました。富山県内でも核兵器廃絶を願う開業医、勤務医、大学研究者らが集い、数年の準備会を経て1989年に本会が結成されました。

世話人代表、初代は佐々學氏

 初代世話人代表には前富山医科薬科大学学長の佐々學氏が就き、以後、医師の立場から放射線被害や核兵器の悲惨さについて啓蒙活動を地道に行ってきました。世話人代表はその後、元富山医科薬科大学附属病院長の片山喬氏、そして現在は被爆二世である金井英子氏に引き継がれ、世話人も全員戦後生まれと世代交代が進んできています。(肩書は当時)

核戦争だけでなく、いかなる戦争にも反対

 これまでの歩みの中で、会としての方向性を左右する節目がいくつかありました。
 1999年の第6回総会の方針から「いかなる戦争にも反対し…」を加えました。小型核の開発が進み通常戦争での核使用も選択肢とされる情勢のなか、核戦争の前兆となるあらゆる危険な動きに対して活動の幅を広げることが求められていたのです。

原発事故の教訓から反原発へ

 2011年に福島第一原発事故が発生し、原発がひとたび制御不能に陥ると取り返しのつかない惨禍を引き起こすことが明らかになりました。
それまで会として原発問題についてあまり立ち入ってこなかったことを反省し、原発に依存しないエネルギー政策への転換を求めていくことを明確にしました。

「被爆体験を聞く会」で原爆の実相を語り継ぐ

 2010年から毎年夏に啓蒙活動の一環として市民向けイベントとともに「被爆体験を聞く会」を開催してきました。この活動を通じて、被爆一世の高齢化が進むなか県被爆者協議会の継続や「被爆二世・三世の会」の発足に当会として協力しました。

核兵器禁止条約が世界の流れ

 2017年国連で、核兵器の開発や製造、保有、使用などを全面的に禁じる核兵器禁止条約が採択されました。そして2020年10月24日、批准国・地域が、条約の発効に必要な50に達しました。(12月11日現在、署名国86、批准国51)故高野昇治・世話人副代表が述べていた「核廃絶を唱えることは絵空事でしょうか? 私はそうは思いません」いう信念が、今では現実の世界を動かす大きな潮流となっているのです。

結成総会報道記事(会報 89.9.13)
「設立発起人の集い」での発言から
 (会報 89.9.13)

 

写真で見るこれまでの歩み

●1989年の結成総会の記念講演で肥田舜太郎氏は医師の役割についてこう述べました。「放射線の恐ろしさを専門的に本当に理解できるのは医師。被爆者は明らかにガンの発病率が高い。それを診察室や待合室で一般の人にわかる形で話していただきたい。」

●1990年の「講演と映画のつどい」の資料展では、会場の県民会館に1,013人が来場し、会員の待合室などで開く「院内原爆写真展」は、1992年から96年まで毎年開催しました。

2年に1回の総会に併せて記念講演会を開催してきました。1991年の講師は長崎原爆被災者協議会会長で自身が原爆写真のモデルにもなった山口仙二氏でした。

1995年、フランスが核実験を再開したことで、富山駅前にて街頭宣伝を行いました。参加した医師たちは、心をこめて行き交う人々に訴えました。

1997年以降の公開講演会の講師は元長崎市長の本島等氏、ちひろ美術館副館長の松本由里子氏、井上ひさし氏、日本科学者会議原子力問題研究委員会委員長の中島篤之助氏、渡辺治氏、浅井基文氏、寺島実郎氏と、戦争や核兵器、憲法など平和問題に一家言を持つ方々の講演会を開催しました。なお2001年に世話人代表が佐々學氏から片山喬氏に交代しています。

2003年にアメリカのブッシュ政権がイラクへの先制攻撃を宣言、日本政府は各国に先駆けて支持を表明しました。当会はイラク戦争展開のポイントとなる各局面で声明を当該国大使館や首相官邸に送付しました。

2004年8月、当会世話人会の議論を通じて「九条の会の呼びかけに賛同する富山医師歯科医師の会」(略称:九条医師の会とやま)が発足しました。

2005年9月、長崎の秋月辰一郎医師を主人公としたアニメ『アンゼラスの鐘』の上映会を富山県民会館で2回行いました。併せて、県被爆者協議会の協力を得て、県内の被爆者の体験を聞く機会を作りました。

2006年、世話人代表の片山氏が病気療養中に副代表の高野昇治氏が急逝され、両氏を欠いた会は活動を停滞しましたが、第10回総会で金井英子氏が代表を引き継ぎました。

2008年の「反核医師のつどいin金沢」に、金井代表が実行委員の一人として参加したことが新たなスタートの契機となり、2009年にはジャーナリストの堤未果氏を講師に結成20周年記念講演会を開催しました。

2010年に2回目の被爆体験を聞く会を開催しました。被爆者の方は「今まで新聞などの取材はかたくなに断ってきたが、世間から悲惨な記憶が薄れ、戦争や核兵器を正当化する最近の風潮に今話しておかなければと思うようになった」と述べました。

2011年3月11日午後2時46分、日本は未曽有の大地震と巨大津波に襲われました。福島第一原発は全電源を喪失し、炉心溶融(メルトダウン)と水素爆発によって膨大な量の放射性物質を放出、汚染は日本国内、国外に広がりました。当会として原発に依存しないエネルギー政策への転換を求める声明を出し、脱原発や低線量長期被曝の影響をテーマとした講演会を旺盛に開催しました。

2012年8月に志賀原発再稼働反対の集会があり、呼びかけ人の一人として小熊副代表が「私たち核兵器廃絶医師の会はこれまで原発について明確に反対してこなかった。しかし3・11を経験し、原発は核兵器と同様、人間の健康と環境に計り知れない被害を及ぼす。人類の未来にとって相容れないものである」と、当会の姿勢をアピールしました。

2012年はIPPNW世界大会が広島で開催された年で、金井代表が参加しました。

2013年夏にアニメ『はだしのゲン』上映会と被爆体験を聞く会を開催。以後、ほぼ毎年市民向けイベントと被爆体験を聞く会を行ってきました。しかし年々被爆者の高齢化が進み、証言できる人も少なくなり、県被爆者協議会の活動継続も困難に陥っていました。協議会の田島会長より二世の人たちの助けが欲しいと相談を受けた当会の金井代表は、名簿を見ながら被爆者を訪問し、二世の会立ち上げを家族に伝えてもらうようお願いして回りました。

2017年7月9日、「富山県被爆二世・三世の会」が発足し、会長の小島貴雄氏は被爆者の手記の補足作業や収集を通じて再び核兵器の惨状が起きないよう微力を尽くしたいと述べました。

この間、米トランプ政権に象徴される自国第一主義が世界に蔓延し、米国の中距離核戦力全廃条約の合意破棄の動きが国際情勢を不安定にしています。

国内では安倍長期政権の下、秘密保護法、集団的自衛権行使容認の閣議決定、安保法制の可決、日本版NSCの設立、武器輸出三原則の廃止と続き、今憲法改変の動きがあります。

一方で2018年に核兵器禁止条約が国連交渉会議で採択され、それを推し進めたICANにノーベル平和賞が授与されたことは、核兵器廃絶を願う世界の人々を心から励ましています。

これまで開催したイベント一覧

企画名(講演テーマ)お話しされた人(肩書・敬称略)
2020新型コロナ感染予防のため開催せず
2019811映画「夕凪の街 桜の国」      被爆体験を聞く会木戸 季市
2018811朗読劇「たみちゃんの8月6日」    被爆体験を聞く会西本 多美子
2017811アニメ「風が吹くとき」上映会   被爆体験を聞く会田島 正雄
2016731映画「父と暮らせば」上映会    被爆体験を聞く会飯田 國彦
201589アニメ「アンゼラスの鐘」上映会  被爆体験を聞く会大田 安子
2014727映画「千羽鶴」上映会       被爆体験を聞く会飯田 國彦
2013925アニメ「はだしのゲン」上映会   被爆体験を聞く会岸川 義一、柴田 政一
201282子どもたちを原発の危険から守るために吉田 均
2012315低線量の長期被曝の影響と課題松井 英介
20111123・11後の脱原発・自然エネルギー戦略飯田 哲也
201082NPT再検討会議NY行動報告会   被爆体験を聞く会岸川 義一、田中 春子
20091012貧困、医療、経済、そして平和堤  未果
2005925アニメ「アンゼラスの鐘」上映会   被爆体験を聞く会田島 正雄、水野 耕子
20041116「世界の潮流と日本の進路」寺島 実郎
200386「イラク戦争・国民保護法」青島 明生
200288「迫りくる核戦争の危機、日本のとるべき道は?」浅井 基文
200171「憲法問題と平和・核兵器廃絶への展望」 渡辺 治
2000823「東海村臨界事故の意味するもの」 中島 篤之助
199988「二つの憲法」井上 ひさし
199898「ちひろの世界~今、本当のやさしさを求めて」松本 由里子
1997726「ナガサキの原点に立って二十一世紀を考える」本島 等
199589「フランス核実験再開と核不拡散条約をめぐって」和田 雄二郎
1993728「核兵器廃絶の展望と医師・医学者に期待するもの」木澤 進
1993317「核兵器廃絶の展望」安斎 育郎
1991710「46回目の夏、被爆者は訴える」 山口 仙二
1989716「核兵器をなくす運動と医師の役割」 肥田 舜太郎

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