アニメ映画『アンゼラスの鐘』を、全国に先駆けて富山で自主上映

 9月25日(日)、アニメ映画『アンゼラスの鐘』の自主上映会が富山県民会館で開かれました。主催は保険医協会と核兵器廃絶をめざす富山医師医学者の会も参加する「アンゼラスの鐘上映実行委員会とやま」です。
 参加者は午前午後合わせて417人。そのうち18歳以下は112人で会場内に小学生の姿が目立ちましした。上映前のホールロビーでは多くの人が「核兵器廃絶をめざす富山医師医学者の会」が所蔵する原爆パネルに見入っていました。
 午前の司会は太田真治先生、金井英子先生の主催者代表挨拶の後、富山県被爆者協議会事務局長の田島正雄氏が被爆体験をお話されました。午後は司会を与島明美先生、挨拶を小熊清史先生が行ない、被爆体験は水野耕子氏が自らの体験を語りました。
 水野氏は、14歳のとき長崎で被爆し、原爆の悲惨さと憲法九条を守っていくことの大切さを訴えました。

アニメ映画『アンゼラスの鐘』あらすじ

『アンゼラスの鐘』上映実行委員会挨拶

今の日本は戦争というものが遠い存在でなくなってきている

核兵器廃絶をめざす富山医師医学者の会世話人 小熊 清史

 同じ会場で5月に澤地久枝さんの講演を聞く機会がありました。戦争というものは勝った国だろうが負けた国だろうが、一番ひどい思い、悲しい思いをするのは国民だと言っておられたことが印象的でした。
 無差別に人を殺すということはたとえ戦時下であっても、犯罪とされています。日本は中国大陸や朝鮮半島で犯罪を犯したと断罪されていますが、アメリカも広島、長崎そしてここ富山でも無差別殺人という犯罪を犯しているわけです。
 私が怖いな、と思うのは戦争というものは、いったん始まってしまうと手段を選ばなくなるのではないか、今の日本は戦争というものがそう遠い存在でなくなってきているのではないか、という気がしてなりません。
 現在日本にはプルトニウム5.7トンの備蓄があります。トラック1台分しかないと思われますが、8キログラムあれば長崎型原爆が1個、全部で700個できる計算です。そして日本の技術力があれば、およそ3ヶ月で作ることができるそうで、そういうことに誘惑を感じる人が出て来ないか非常に心配です。
 今日の映画は目を背けたくなる場面もあるかと思いますが、目をしっかり開き耳を澄ませて、二度と繰り返してならないという思いを込めながら見ていただきたいと思います。

大きな危機に直面したとき大きな勇気を与えてくれる

核兵器廃絶をめざす富山医師医学者の会世話人 金井 英子

 私は、核兵器廃絶をめざす富山医師医学者の会の金井と申します。
 被爆60周年の節目に、長崎でこのアニメ映画製作の運動が起きている、ということを耳にしたのは、昨年秋のことでした。私たちは、富山で多くの人たちにぜひ見てもらいたいと思い、すぐに製作支援活動に手を挙げました。そして今年に入って実行委員会を何度か開き、多くの方々の協力を得ながら今日を迎えました。
 実は、このフィルムが完成したのは今月の半ばになってからです。長崎と東京で試写会が開かれましたが、自主上映というかたちで鑑賞できるのは、全国でこの会場が最初になりました。
 私はこの映画のシナリオを読んでみましたが、第一の主題は原爆の悲惨さを伝えることです。どうか現実にあった惨状をみなさんの瞼に焼き付けていってください。もう一つは主人公、秋月医師の生き方です。病院は破壊され、炎上しながらも患者の治療を続けました。どんな困難や悲しみに行く手をふさがれようとも決してあきらめずに治療する彼の姿は、ここにいらした多くの方々の共感を呼ぶことと思います。
 私自身が大きな困難に直面したときに、きっと今日の映画は大きな勇気を与えてくれるだろう、そんな期待を持ってみなさんと一緒に一緒に見せていただこうと思います。

ナガサキでの被爆体験から

富山県被爆者協議会   水野 耕子

 私が被爆したのは女学校の2年、14歳のときでした。爆心地から2.8㎞の場所で、機械の製図をする仕事の待機中でした。8月9日、11時15分、窓から鋭い白い光が、ガラスの破片とともに飛び込み、私は階段の隅にたたきつけられ、失神しました。私自身は幸いたいした傷もなかったのですが、友人たちはガラスの破片を体に受けて血を流していました。
 かろうじて残った我が家の前の道を、山を越えてきたむごい姿の人々が大勢通りました。私は水をあげたり、日陰に座らせました。夕焼けのように燃える街から家を守ろうと必死でした。夜は裏山の谷底で3晩過ごしましたが、飛行機が照明弾を落とし、写真を撮っているようでした。赤々と燃える街のその下に、一瞬のうちに亡くなった7万人の人々がいると誰が想像できるでしょうか。
 敵機におびえながら終戦を迎え、翌21年に私たち学生は実験農場としてアンゼラスの鐘の聞こえる浦上医大の運動場へ開墾に行きました。人々は、もうこの焦土と化した土地には75年草木も生えないと話していました。それゆえに医大におられた農学博士は、この中心地で開墾を実行されたのです。秋になってサツマイモが普通の3倍の大きさで実りました。豊作だ、と言ってみんな大喜びで食べましたが、放射能のせいだったのです。未だに私たちの同窓会でこの話がでます。
 終戦後10年にして富山にまいり、被爆された方々のお世話をさせていただいていますが、私も肝機能が弱くて病院のお世話になっています。しかし今日まで60年も生かしてもらったことも医学の進歩と喜んでいます。当時、友人たちがバタバタと亡くなっていきましたが、大学の先生が柿の葉を煎じなさい、と言っていたことを思い出されます。それくらい当時は、どう治療したらよいのかわからなかったのだと思います。一方で、アメリカの「ABCC」という原爆傷害調査委員会は、患者を観察はしても治療はしませんでした。まるで人体実験ではありませんか。終戦後10年経って、ようやく日米合同の医療が始まったということを聞くたびに、その矛盾に苦しい思いが致します。
 その後世界の人が被爆医療のために日本に来ることになりました。やはり憲法九条は守っていかねばなりません。この長い60年間平和を保った実績は、やはり正しい選択だったと思います。被爆者の世話活動を通じて、多くの方々を見送り、核兵器の怖さを知らされました。今、若い人々には、どうか賢い日本の姿を作ってもらいたい。これからの日本人には勇気をもって世界の核の恐怖から救う道しるべを示してもらいたいと思います。
 「怒りの広島」「祈りの長崎」と申しますが、人は強く生きなければなりません。

参考:長崎・広島ヒバクシャ証言集「想い」より


入場者の感想から

●一言では言い表せない原爆の恐ろしさ、人間の助け合いと、何とも言い表せない切ない気持で胸がいっぱいになりました。一人でも多くの人たちに見て欲しい。 (女性・六十代)
●原爆のことがとてもわかりやすかったと思います。今までは、ただただ怖いもの、という思いしかありませんでしたが、どういうふうに怖いのかよくわかりました。ありがとうございました。(女性・三十代)
●本で読んで知識はあったが、映像でみると悲惨さがよくわかる。誇張でも何でもない等身大の被害がよく伝わった。(男性・三十代)
●今まで話や写真展などで見たことがあるが、投下を実際に見ているようでものすごかった。核は絶対に反対です。(女性・七十代)
●せんそうをやめたいきもちがすごくふえました。まわりの人にもぜひつたえたいです。(男性・小学生)
●前から知っていたけど戦争は悲しいものだということも改めて実感しました。(男性・小学生)
●アニメを通して原爆の悲惨な様子をあらためて知りました。また長崎や浦上で人々がどのような状態であったかを生々しく知ることができました。秋月先生や看護婦さん、病院の人々の努力を知りました。感動的な映画をありがとうございました。(男性・五十代)
●忘れかけていたB29の音がよみがえってきました。小さいときの怖かった事、あの音を。(女性・六十代)
●むごいと言ったらこれほど被害が大きかったものは当時は他になかったと思います。アニメですので現実をそのままにということはとうてい無理なことです。が、知らない世代にとってはショックでありましょう。富山に戻りましてから一ヶ月。関心が強くて広島や長崎に何回も伺うことがありました。「あの日」を境にしてという方々を多く知っているだけでは現在の右傾化している戦争への歩みを止められますまい。被害だけでなく、加害者でもあった日本に住む者として、作品の質自体が高いだけに妙に気になります、語り尽くせぬものがあまりにも多いことに。ナレーターの小林桂樹が良かったですね。言外に伝わるものがありました。(女性・五十代)
●これをみるまでほんとうのはなしだとおもわなかった。せんそうはこわかった。げんばくをおとすのはだめだとおもう。(男性・小学生)
●この映画は全国そして海外の人に伝えていかなければならないと思います。(女性・中学生)
●子どもや孫たちとこの映画を一緒に見ることができて大変よかったと思います。家へ帰ったらまた話し合いたいと思います。(女性・七十以上)
●原爆の恐ろしさ、原爆にあわれた方の大変さがよくわかりました。しかし実際に体験された方のお話が一番心に響きました。本当にありがとうございました。戦争の恐ろしさを日本人は一番わかっているはずなのに、残念でなりません。(女性・三十代)
●この話を見てせんそうの時子どもたちなどがどんな思いですごしていたかがわかりました。(女性・小学生)
●自分たちの世代は戦争についてはいろんなところで聞かされているが、体で体験したわけではないのでどんなに悲惨かというのはわからない。その「わからない」ということはどんなに幸せであり、または平和ボケをしているのかって思う。今日、世界では戦争をしている国、またはそれにお金や力を入れている国が数多くあるのが現状である。やはり戦争放棄をしている日本をこれからも地球全体のお手本にしていかなくてはならない。(女性・高校生)