3.11後の脱原発・自然エネルギー戦略

環境エネルギー政策研究所所長
飯田 哲也

 飯田です。
 先ほど紹介された小水力発電の貫通式が今日ありました。地域からエネルギーを変えていく、その現実的な展望をお話したいと思います。
 まずは未曾有の地震と大津波の被害、そして地球規模で世界史に残る福島第一原発の事故にふれておかなければなりません。自己紹介になりますが、私は大学院で原子力を学び神戸製鋼という会社で放射線廃棄物関係の設計解析にいて、原発製造の風上から風下まで一通りのことに関わりました。最後の仕事が使用済み核燃料の乾式貯蔵施設管理に携わり、その一つがこの福島第一原発にあるというのも何かの因縁を感じています。

歴史の歪みの積み重ねを見直すとき

 この事故というのは、日本の近代史にとって明治維新と太平洋戦争、それに続く三つめの歴史的な転換期になると思います。単に事故が大きいからというのではなく、それをもたらした歴史の歪みの積み重ねというものを見直し、日本は変わらないといけない、そう強く思うからです。
 3.11の前後で大きく変わったのがマスメディアです。原子力や電力独占のタブーが解かれて、問題点がおおっぴらに公共の新聞や電波にのるようになった。以前の、電力会社が膨大な広告費を使ったり、経産省や電事連にある記者クラブなどを通じて、徹底的に原子力に批判的な言葉を排除してきた時代とはかなり違ってきている。戦争の時代に、戦争に反対したり日本軍は負けるのではないかという声は完全に言論から排除されていたのが、敗戦と同時にまるでそんなことはなかったかのように議論できるようになった。あの時代と同じように、問題を問題としてきちんと議論できない組織構造が綿々とあったということです。

戦前の組織体質が政府・官僚・企業に引き継がれている

 太平洋戦争時と現代は、実は同じ社会体制、政治構造でつながっています。戸部良一氏の名著『失敗の本質』で指摘されていますが、なぜ日本軍は負けたのか。戦術の局面を個々にみたときノモンハン、ミッドウェー、インパールで日本の参謀や将校が同じ間違いを犯しました。甚大な損害を客観的な事実として受け入れず、希望的観測を前提とした情報のみで立てられた作戦を繰り返したのです。技術選択も同様で、時代は航空機に移っているのに、かつての成功体験から大艦巨砲主義に固執し続けた。厳しい現実を直視しようとする意見は人間関係重視の組織の中で無視され抹殺されていく。すでに原子力の時代は終わっているのに、ひたすら原発を作り続け無意味なプルサーマルを推し進めようとする日本。戦前の日本軍の組織体質が、今の政府や官僚組織、企業体質にそのまま引き継がれていることを感じます。
 10月に発足した総合調査会など、政府の会議では「脱原発依存」「自然エネルギー」「電力市場改革」がどう議論されるか注目されています。国民の8割が代替エネルギーの開発とともに脱原発を望んでいるにもかかわらず、霞ヶ関や永田町ではそれでも原発は必要だ、と言う人が半分以上というのが私の印象です。日本は変わらなければいけない、あらためてそう思います。

当夜、メルトダウン予測情報は出ていた

 3.11当日、私はドイツのポツダムで専門家会議に参加していました。現地時間の朝6時過ぎ、日本ですごい地震が起きたという連絡がきて、私も含めて世界中の人が、広島の中学2年生がiPhoneを使ってUstreamに流したNHKの画面を見守りました。ネットでいろいろ情報を見ていく中で、地震から1時間後に官邸に対策本部が置かれ、原子力災害特別措置法に基づいて東京電力が国に対し原子炉を制御できないという報告を行い、16時30分に官邸のホームページに情報がアップされ始めました。そして22時35分になって突如現れた情報に私自身驚愕しました。
 何が書いてあったかというと「2号機の有効燃料頂部到達予想21時40分頃」。燃料棒の最上部を有効燃料頂部というのですが、ふだんはそれより4~5メートル上にあるはずの冷却水の水位がどんどん下がって、燃料棒の最上部に到達した。すなわち燃料棒が露出して剥き出しになったのではないか、ということです。
 次の「炉心損傷開始予想22時20分頃」。メルトダウンがすでに15分前に始まった可能性がある、という意味です。「原子炉圧力容器破損予想23時50分」。これはメルトダウンした燃料が圧力容器を突き抜けるメルトスルーの予測です。この3行の情報は、それほど恐ろしいことを言っていて、すでに当日の夜、国民の誰もが見えるところに出ていたのです。
 後日聞いた話ですが、首相と官房副長官は原子力委員会の斑目委員長に、水素爆発は起きないかどうか何度も確認したところ斑目氏は絶対に水素爆発は起きない、と断言したそうです。しかし翌日15時36分に1号機が爆発しました。なぜこの3行を見ていないのか。これを見れば水蒸気爆発が「臨界超過」と重なった場合、死の灰の飛散量がくらべものにならなくなることは専門家ならわかるはずです。

使われなかったSPEEDIの情報

 またその日のSPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)の情報がどう扱われたのか。文科省の担当機関はまじめに仕事をしていてその日のうちに官邸や保安院には届いていました。しかしその情報はまったく使われず、午後9時に同心円3キロ圏内退避、翌日朝に10キロ圏内退避が命令されました。そして水素爆発が起きて20キロに拡げられました。その内側にいた大熊町、双葉町から飯舘村方面に逃げた人たちは、そこは放射能が大量に来る領域だということを知らされずに、幼子にマスクもさせず外で遊ばせたり、沢の水を飲ませるという惨いことをさせられたのです。
 このときアメリカの原子力規制委員会は手計算で、2基のメルトダウンで被ばく線量を越えないためには50マイル(80キロ)退避を指示しました。SPEEDIのデータを持っているはずの保安院・官邸・安全委員会が何も考えず出した同心円20キロが、いかに危険なものだったか。これは先ほどの旧日本軍に似ています。退却する際、兵士の命を大切にすることを考えないから、「生きて虜囚の辱めを受けず」などといって玉砕させ、多くの命が失われていったのです。
 当時官邸にいた人から聞いた話ですが、菅首相たちが「水素爆発が起きたじゃないか。どうすればいいんだ!?」と問いただしたところ、居並ぶ専門家達は宿題を忘れた小学生のように下を向いて押し黙ったというのです。このこと一つとってみても、この程度のレベルの専門家達に原子力を扱う資格はありません。「想定外」という言葉で思考停止というか、思考することを禁止していた原子力ムラの人たちの様々な不作為、必要なことを何もしてこなかったことが、今回の事故の根本原因だと思っています。

3.11後の世界の反応

 政治レベルでは、ドイツは3月15日に稼働17のうち7基を停止命令、原発は倫理的にも許されないとの方針で法律まで作りました。イタリアは6月の国民投票で再稼働しない、スイスは5月に閣議決定し8月に法律を通して原発閉鎖です。日本は今ようやく審議会が始まったところ。ここで挙げた独、伊は日本と同じく第二次世界大戦の敗戦国で、核兵器を持つことを許されなかった故に軍と核が切り離され、脱原発が政治的に容易だったという背景があります。かつての連合国はみな核保有国となっていて、原発も軍産複合体に組み込まれ、政治的に脱原発は難しい状況にあります。途上国が原発を持ちたい、というのは、表に出ているかどうかは別にして、潜在的核武装能力を持ちたいという動機が共通しています。
 今、市場原理がもっとも進んだ資本主義の国では、もう原子力はできない、となっています。アメリカは1970年代以降、イギリスも1990年代以降、新規原発は1基もない。フランスは官僚主導の国で、現在1基作っていますがコスト問題が生じています。中国とインドは原子力依存を高めようとしていますが、風力発電の計画が原発の3倍以上大きいのです。そういった中で日本はまだ遅くウロウロしているのが現状です。

世界の原発の平均寿命は22年、ところが日本は

 世界の原発は平均22年で廃炉になっていますが、福島第一原発は30年の予想寿命をくだんの専門家たちがろくなチェックも行わないまま10年延ばし、さらにまた10年延ばした矢先に事故が起きました。これは40年寿命で原発能力を予想した図です。
 上向きの太線は増設を前提とした妄想とも言えるエネルギー基本計画で、こんなことはありえません。点線は新規建設なしで順に廃炉した場合、その下は3.11でダメージを受けた原発を直ちに廃炉した場合です。矢印は共産党や社民党の主張するドイツと同じように2020年が目標、またすべてを再稼働せずにすることも可能です。私はどんなテンポで脱原発をすすめていくかは、民主主義と市場メカニズムがこのカーブを決めていく、と思っています。もちろん、国民の総意で、国民投票であと10年と決めるのもいいですし、これをどうしていくかについて地域が、あるいは国民全体がしっかり意思を表明して政治を動かさないと実現していかないと思っています。

市場原理が原発を殺す

 実際に原発を市場が殺す、というのはどういうことでしょうか。世界の原発は作れば作るほど高くなっています。年々安全基準が厳しくなって、メルトダウンしたときのコアキャッチャーを設置したり格納容器も大きくなるなどコストがうなぎ登りなのです。最近ではフィンランドの3号機建設の建設費の高騰と工期の遅延でジーメンスが離脱、アリバが資金ショートを起こしました。これはどこの国でも共通で、世界の金融は原発は安全リスクに加えて投資リスクがありすぎると判断しています。このようにアメリカやイギリスなど最も市場原理主義が厳しい国では新規の原発ができる見通しはまったくないのです。
 もうひとつは損害賠償です。日本は1基あたり1,500億円が準備されていますが、今回の東電の費用は何10兆円かかるかわかりません。ドイツが福島の事故後に賠償保険費用を試算したところ、一番高いケースでは月8千円の電気料が30万円になるというものでした。そんな保険は現実には不可能なので、原子力というものは市場の中で受け入れることが不可能になっているのです。

「固定価格買取制度」が爆発的普及のカギ

 幸い世界では、農耕・産業・ICTに続いて第4の革命と言われる、自然エネルギーの爆発的普及が始まっています。風力は毎年平均30%、太陽光は平均60%の割合で増えています。風力は昨年までで1億9,300万キロワット、これは原発の190基分です。原発は3億7,000万キロワットで、風力は1980年からですので、30年で原発の半分まできました。今のペースでいくとあと5年で原子力を追い越します。太陽光はまだ風力の4分の1以下ですが、増え方がすごいのでひょっとすると風力を追い越すかも知れません。
 なぜそうなるのか。それは確信をもった政治決断が行われ、賢く練られた政策プログラムが導入されると市場が生まれ育っていくのです。その代表的政策が「固定価格制度」という、自然エネルギーの電気を採算がとれる価格で長期間買い取ることを電力会社に義務づけた法律です。この法律が世界87カ国で次々と導入されて爆発的に増えています。日本でもようやく8月に法律が通り、来年7月から施行されます。これで風力発電もそうですが、日本ではおそらく太陽光発電が伸びると思います。
 2003年までは日本は太陽光発電の先進国でしたが、自然エネルギー暗黒の時代を迎え、あっという間にドイツに置いていかれました。最近になってV字回復が見られますが、これは私も関わったのですが、家庭用太陽光発電の余剰電力買取制度ができたからです。小さな限定的制度でも、政策の力というものは非常に効果があることを実感しました。
 今回の法律で大規模なメガソーラーで採算がとれるようになります。1千万キロワット規模でキロワット30万円なら3兆円の市場が出現し、地域での雇用効果が大きく、地産地消で、化石燃料の輸入量を減らすことができるのです。

自然エネルギーは不安定か?

 ところで風力は風が吹かないと心配だ、太陽光は曇りが続いたらどうなるかと、不安の声をよくききますが、心配することはありません。たとえばドイツは風車が2万本ありますが、1本1本は回ったり回らなかったりと変動しても2万本の出力平均値は大きな変化がありません。また季節による気候の変化はかなりの精度で予測できます。
 また変動するのは供給だけでなく需要も変動します。現在でも需要変動と水力、火力、原子力などすべての供給側の変動を時々刻々と合わせているというのが実態です。コンピューターが自動的にそれを感知して、火力のタービンを余計に回して供給量を増やしているのです。風力や太陽光の変化は需要の変化の裏返しととらえるだけでよいのです。電力需要のピークなどもっと長い時間の調整は、電力会社間や地域間で融通する、価格を高くして需要を調整するなどいろいろな方法があります。これらの技術の進歩はめざましいものがありますので心配ありません。

めざすべきはエネルギーシフト

 これから目指すべきは、ベストミックスというわけのわからない言葉ではなく、エネルギーシフトです。原子力は民主主義と市場メカニズムで減らしていく。自然エネルギーをドイツと同じペースで増やし、省エネを2020年までに20%、この間天然ガスには若干頼らざるを得ないかもしれませんが2050年には自然エネルギーと省エネ・節電でクリーンで安全な社会が実現できるのです。
 どう地域から変えていくか。その典型がデンマークにあります。約10年で島の風力発電設備がすべて島民出資・島民運営ですすめられ、今では売電が島の産業にまでなっています。地域の中で中心的に役割を果たす人と組織が一貫していることが大事です。
 みなさん自身が新しい富山県の政策、地域の政策や運動づくりなどに関わっていかれることを望みます。冒頭に挙げた我が国にとっての歴史的な転換を実現していくのは一人ひとりの力です。(了)